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第1回
「プロローグ」
運命の日。
そう書き記すと、少し大袈裟に感じる人もいるかもしれない。でも、冷静に振り返ってみて欲しい。
「思い返せば、あの日が運命の分かれ道だったんだなあ」
そう思い当たる一日が、きっとあなたにもあるはずだ。
あともう少しでゴールデンウィークが始まるという、とある春の平日。その日が、
17時40分。
場所は、地下鉄東山線の栄駅から地上に出てすぐの久屋大通公園。西へ落ちる太陽が、ゆっくりと黄金色に輝き始めていた。それを大夏は、公園の真ん中にある「希望の泉」という噴水の脇に腰を下ろして眺めていた。地元のランドマークであるテレビ塔の鉄骨たちが、西日を受けて美しいオブジェのようになっていた。
大夏は、持参した高島屋の紙袋を自分の脇に置いた。携帯をチラリと見る。待ち合わせの時刻までには、まだ間があった。緊張していたからだろう。ルーズな性格の大夏にしては珍しく、待ち合わせ時刻より20分も早く、約束の場所に着いていた。そこで彼は、この一ヶ月の間に出会った「ふたつの死体」のことを考えた。
まずは、生まれて初めて、自分が第一発見者となった殺人事件。
小さな女の子。首を絞められて死んでいた。うっすらと化粧をしていて、それで最初は少し大人びて見えたけれど、実際はまだ小学校5年生だった。
そして、もうひとつの死体。
それは、別の日に別の場所で起きた殺人事件だったけれど、いろいろな不運が重なったせいで、大夏はその写真を、深夜の警察署の取調室で、強面の刑事から思い切り突きつけられることとなった。
被害者は、こちらも女の子だった。
身長が150センチ位。小学校の4年生。歌とダンスが抜群に上手で、クラスの人気者だったと言う。警察から釈放された後、大夏はTikTok というネットの動画サービスで、その子のダンス動画を見た。素人の大夏から見ても、彼女のダンスには才能があった。躍動感。ほとばしるパッション。笑顔。生きていれば、誰もが名前を知るスターになったかもしれない。
(やり切れない……)
あれ以来、大夏の心は鈍く痛んだままだ。乗り越えたい。もちろんそう思っている。ずっと思っている。だが、真犯人を捕まえるという方法以外に、大夏にはその乗り越え方が未だ思いつかずにいた。
真犯人を、捕まえる?
警察が、100人以上の捜査官を投入して、未だに解決の糸口も見つけられていないというのに、それを自分が……。何の特技もない、取り柄もない、限りなくニートに近いフリーアルバイターであるこの俺が、真犯人を捕まえる?
と、公園の入り口に、待ち人が来たのが見えた。待ち人もまた、約束の時間よりかなり早く来たのだった。大夏の心臓の鼓動が速くなった。
(ここからが勝負だ)
そう、大夏は思った。
待ち人は、まっすぐ大夏のところに歩いてきた。そして、警戒心も見せずに、大夏の横にストンと座った。歩いている時も、座る時も、座った後も、待ち人は大夏の顔を見なかった。
「もうすぐ、選挙だね」
それが大夏の第一声だった。
姉の広中
「そうだね」
待ち人は抑揚のない声で返事をした。
「先生、当選しそう?」
「どうだろうね。もう興味はないな」
だめだ。こんな会話をする意味はない。
なので大夏は、姉の台本にあった前振り部分を飛ばして本題に入ることにした。
「これ、プレゼントです」
そう言って、大夏は紙袋を、待ち人の膝の上に載せた。待ち人が紙袋を開く。そして、中を覗き見る。実を言うと、その紙袋の中身は、大夏自身も知らなかった。
「これ、何?」
遡ること48時間前。大夏は突如、美桜に岐阜まで呼び出された。それも実家でも岐阜駅近くのカフェとかでもなく、なぜか長良川の畔に立つ十八楼という老舗旅館のラウンジに呼び出された。そこで美桜は、大夏が「戦闘服」と呼ぶ淡い桜色の着物姿で、優雅に珈琲を飲んでいた。そして、彼女の傍に、その高島屋の紙袋はあった。
彼女は大夏の質問に対してただ一言、
「知らない方が強気に出られて良いと思うの」
と言った。
「だから、あんたは絶対、それの中を見たらダメだからね」
大夏は、この口うるさい姉のことが嫌いだった。が、ここぞと言う時は、常に姉の言うことが正しいこと、それを無視すると100パーセントの確率で痛い目に遭うことを知っていた。なので今回は、愚直に姉の指示に従おうと決めていた。
待ち人はしばらく紙袋の中を見ていたが、やがてクツクツと小さく笑い始めた。
「ごめん。君のこと、見くびってた」
初めて、待ち人は大夏の顔を見た。
「見くびってた?」
大夏がオウム返しに言う。
「うん。私は、広中大夏クンを見くびってた。そのことは、心から謝るよ」
大夏自身は、会話の意味がよく分からなかったが、「プレゼントを褒められたら、ちゃんとありがとうと言うのよ」と美桜から事前に指示をされていたので、
「そう。まあ、見直してもらえたんなら、それは良かった。ありがとう」
と返事をした。
待ち人は、小さく肩をすくめた。
「ありがとう、は違うと思うな」
「え?」
「ありがとうはおかしいよ。だって、私が君を見直すってことは、イコール、これから君をひどいめに合わせるってことでもあるんだよ?」
そう言って待ち人は、少しだけ、悲しそうな表情を浮かべた。
「本当は、そうならないで欲しいと思っていたのに。どうして君は、ここまでやってしまったんだろう」
(その紙袋の中に、美桜はいったい何を入れたんだ?)
いつもの美桜なら、大事な人へのプレゼントは、「アンチエイジングのための水素グッズ」と相場が決まっていたが、(彼女は重度の健康オタクで、アンチエイジング・マニアで、水素のもつ無限の可能性への熱烈な信奉者だった)、今日の紙袋はそれとは違うだろう。そして同時に、
(ひどいめって何だ? いったい、俺に何をするつもりなんだ?)
そのことについても、大夏は頭をフル回転させて考えた。だが、どちらの問いにも、答えは出せなかった。答えを出す前に、次の展開が待っていたからだ。
カサッ。
大夏と待ち人の座った場所のすぐ後ろで、誰かが足音を立てた。
振り返る。驚く。いつの間にか、大夏が顔も名前も知っている男が立っていた。
「どうして……」
きちんと言葉を発する間はもらえなかった。男は、右手を大夏の首に向けて伸ばしてきた。その手の中には注射器が握られていて、大夏がそれに気がつくのと、首筋にプスリと痛みを感じたのがほぼ同時だった。ワッと悲鳴をあげながら、大夏は立ち上がる。が、実際は悲鳴はあげたつもりだけで、声にはならなかった。足がもつれ、転倒し、頭を打った。その時、脳震盪を起こしたのかもしれない。世界がグニャリと歪み、大夏のそれまでの人生が、走馬灯のように脳内を流れ始めた。そして、彼は認識した。
今日が「運命の日」だった。
正確には「運命の日パート2」だった。
では、「運命の日パート1」はいつだったのかって? それはもちろん、ちょうど一ヶ月前の夜だろう。
ラブラブと信じていたカノジョと待ち合わせをしたはずなのに、なぜか別の女性が現れた。その彼女のせいで大夏は逮捕され、それなのに大夏はその子に恋をした。そして、殺人事件の第一発見者になり、その後、容疑者に格上げになり、刑事からは何度も罵詈雑言を浴びせられ、不当に留置場に拘禁され、姉からは家族の恥とまで言われ、そして最後には自分自身が殺されることになった。
ああ、なんという間抜け!
大きく三つの意味で、俺は間抜けだった!
大夏は薄れ行く意識の中で、そう自分のことを罵った。
何がどう間抜けだったのか、せめて最期に、誰かにそれを克明に語れたら、と大夏は思う。しかし、残された時間は、明らかに、無い。
(命が尽きるまでに、俺は、すべてを語れるだろうか……)