女子大小路の名探偵

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第10回

「トモダチとは何か?」

 刑事というのは因果な仕事である。人というものを信じていては仕事にならない。実は、嘘をついているのではないか?隠し事をしているのではないか? 心根の腐った犯罪者なのではないか? そんなことを、目の前の人間に対して常に考える。目の動き、声色、体の力の入り具合などを注意深く観察する。同じ質問を少しずつ角度を変えて何回も繰り返し、相手の供述に矛盾が出るのを待つ。嫌味、皮肉、挑発などを繰り返し、怒りのあまり相手が何か失言するのを狙う。逆に、お世辞や嘘の共感を示すことで、相手の油断を誘ってみたりもする。厳粛な雰囲気を演出しながら無駄な質問をわざとしたり、世間話を装いながら大事な質問をしたりする。わざと長時間勾留する。大声を出す。机を叩いて威嚇をする。そして時には……そう、時には、ちょっとばかり暴力を使ったりもする。怪我をさせないよう、程度をわきまえつつ、後々問題になっても言い逃れが可能な範囲で。

 気持ちの良い仕事ではない。

 しかしそれでも、幼い女の子たちが殺されていることに比べればどうということは無い。そう、緒賀冬巳は思っていた。今、最も大事なことは、山浦やまうら瑠香るかちゃんを殺し、佐野あすかちゃんを殺した犯人を捕まえること。犯人を捕まえ、そして死刑判決を受けさせることだ。

 緒賀冬巳は、年齢の割には古いタイプの刑事だった。事件解決のためなら、被疑者の人権など知ったことかと思っている。尊重されるべきは被害者の人権だ。被疑者というのは大なり小なり疑われる本人に原因があるのだ。例えば、今回の事件で第一発見者となった広中大夏。30歳近くになっても定職に就かず、アルバイトでその日暮らし。飲み屋で知り合った女性に対してのストーカー行為。その友人への暴行未遂。死体発見後も速やかに110番通報をせず、パトロール中の警官に発見されると「ちょうど今から電話しようと思ってたんです」などと蕎麦屋の出前のような言い訳を平然とする図々しい性格。ふざけるな。後ろめたいことが何も無い人間は、死体を発見したらいち早く110番通報をするに決まっている。ちなみに「い ち 早 く」は「189」であり、こちらは児童虐待を知った時の通報先だ。「18いちはや 110ひゃくとおばん」。日本政府はセットで世の中にもっと知らしめるべきだ。そう緒賀は思っている。子供は人類の宝だ。子供に手を出す犯罪者を緒賀は最も憎んでいた。そうなったのには、もちろん、理由がある。誰にも話したことはないが。

 緒賀冬巳は一方で、冷静で観察眼に優れた刑事でもあった。心の底に怒りを持ちつつ、しかし、その怒りで我を忘れる、ということが無い。大夏のような、チャラチャラしていて芯が無く、口は達者だが嘘臭く、大きな夢も目標も無く、努力も無く、男のくせに筋肉も無く、24時間女の子と何かラッキーなことがないかと妄想してばかりの男が大嫌いだったが、それでも(この男には殺人は無理だな)と即座に犯人候補からは除外した。この男は犯人ではない。だが、完全に無関係でもない。被害者と死体の第一発見者の携帯の両方に、同じ人物の名前と番号があり、その番号はプリペイド携帯で今はもう使われていない、なんてことが偶然であるわけがない。

 「ヤマモト」

 大夏も、そして殺された佐野あすかも、わざわざカタカナで「ヤマモト」と入力していた。そいつは一体誰なのか。事件解決の鍵はこの「ヤマモト」だと緒賀の勘は言っていた。それで緒賀は、長い長い取り調べから広中大夏をいったん解放する時、彼の耳元にこう囁いた。

 「ヤマモトから接触があったら、いち早く、俺の携帯に電話をしろ。ヤマモトと会ったり電話をしたりメールを貰ったりしたのに俺にそれを言わなかった時は……」

 「い、言わなかった時は?」

 「この前のコメダの事、婦女暴行事件にでっちあげておまえをブタ箱にブチ込む」

 「!」

 

 バーテンダーというのは因果な仕事である。客を選んでいては仕事にならない。本当なら、明るくて会話が楽しくて酒をたくさん飲むのに酔わず乱れずそして金払いが良い男性客か、明るくて会話が楽しくて見た目も可愛くて、お酒を飲むと更に可愛く酔っ払ってちょっとだけセクシーな雰囲気を醸し出してくれる女性客が最高なのだが、実際はそうではないケースの方が多い。偉そうにされても受け流し、つまらない話にも面白そうに相槌を打ち、同じ愚痴を百回聞かされてもイライラせず、時には吐瀉物としゃぶつの掃除も厭わぬ覚悟が必要だ。

 決して、楽しいばかりの仕事ではない。

 しかし、警察署の取調室に長時間押し込められ、強面の刑事からネチネチ質問責めに遭うことに比べたら、バーテンダーの仕事の方が一億倍楽しい。

 (仕事があるって言わなかったら、今もまだ取り調べが続いてたかもしれないよな。あー、バーテンやってて良かった)

 そう心の中で思いながら、大夏は、女子大小路のバー「タペンス」に向かった。暗い階段を4階まで上がる。

 「ちょっと外出しています。冷蔵庫のビールでも勝手に飲んでいてください」

 汚い字の、でも、ちょっとウキウキした心で書いたらしい貼り紙が、ドアに貼られたままになっている。

 (そういえば、あの子とすれ違いになったまんまだ。俺がいなくなって心配してるかな。秋穂。そう、秋穂ちゃん。今どうしてるんだろう。ピエール・プレシュウズのガトージャポネはひとりで食べたかな)

 そんなことを考えながら、ドアノブに手をかける。あれ? ドアの隙間から、光と音楽が流れ出てきた。誰かいる? まさか、秋穂ちゃん? そう思って中に飛び込んだ大夏は「ひゃあああああ」と間抜けな悲鳴を上げることになった。

 確かに、中に人はいた。が、それは、加納秋穂では無かった。男。白い無地のロンTに麻のジャケット。値の張りそうなダメージのジーンズに、きちんと磨かれた黒のローファー。カウンターに座り、勝手に冷蔵庫からビールを出して飲んでいる。

 「ヤ、ヤマモトさん!」

 思わず、声が上ずった。

 「よ。もっとボロボロにされてるかと思ったけど、けっこう元気そうだね。良かった良かった」

 「え? な、何がですか?」

 「え? 何がって、警察に捕まって酷い目に遭ってたんじゃないの?」

 「ど、どうして知ってるんですか? ニュースに俺の顔、出てないですよね?」

 「そりゃニュースには出てないよ。死体の第一発見者の顔と名前出すニュースなんてどこにもないよ。でもぼく、耳が良いからね。君がぼくとの関係について根掘り葉掘りかれているらしいとか、もしぼくと会ったらぼくに気づかれないようにこっそり電話をしろと言われてるとか、そういうのが勝手に聞こえてきてしまうんだよ」

 「え」

 「その刑事の名前が、緒賀と鶴松、だとか。その緒賀は、東京から来たばっかりの余所者だとか、でも空手が特技で君にも早速一発お見舞いしたみたい……とかもね」

 そこまで言うと、ヤマモトは残っていたビールを飲み干した。そして、

 「お代わり、くれるかな? あ、あっちのテーブルの彼らにも」

 と言った。

 「あっち?」

 店の反対側を振り返る。と、カウンターとは逆のテーブル席の一番奥に、暴力的な臭いをムンムンさせた若者が4人、黙ってビールを飲んでいた。大夏は彼らにうっすらとした見覚えがあった。錦や今池では有名な半グレ集団の男たちだった。

 「ヤマモトさんって、何者なんですか?」

 恐る恐る大夏は尋ねた。ヤマモトは爽やかに微笑むと、

 「その前にひとつだけ、ぼくから君に質問をしても良いかな?」

 と言った。

 「は、はい。なんでしょう?」

 とヤマモトはカウンターのスツールからポンと降りると、大夏の目の前に来た。ヤマモトは大夏より一回り小柄だったので、大夏は彼に上目遣いで見つめられる格好になった。

 「君とぼくは、トモダチかな?」

 「え?」

 「トモダチだよね? そうじゃないって言われると、ぼくは結構傷つくよ?」

 何と答えるべきか、大夏は迷った。背後にガタンと椅子が動く音がする。半グレたちがテーブル席から立ち上がったらしい。警察署での緒賀との会話がデフォルメされて脳裏に甦る。

 

 「ヤマモトから接触があったらいち早く俺に電話しろ。逆らったらブタ箱にブチ込んで何年もブヒブヒ泣かせてやる!」

 

 大夏の携帯は、今は尻のポケットに入っている。が、それを取り出すチャンスは、ありそうになかった。なので大夏は

 「はい。トモダチです。トモダチでお願 いします」

 と言った。ヤマモトは満足そうに頷き、 半グレたちはまた椅子に座った。ヤマモトは、大夏の肩を親しげに叩くと、

 「じゃ、公園から車で走り去ったっていう、白い手袋の男の話をしようか」

 と言った。大夏は恐怖で震えた。

 なぜ、この人はそこまで詳しく知っているんだ?